










![]() 平治合戦の図 源義朝と平清盛が戦った平治合戦 |
| 「日本古典文学の中の雷」 恵泉女学園大学人文学部専任講師 佐谷眞木人 |
そもそもその後 国家の興廃は主君の得失によって せいばいえい色 人を異にす
安芸の守平清盛 二条大宮に陣を取り 分けて雲居にひるがえす 軍の備え厳重なり
平清盛
左馬の守義朝の八男 牛若丸 待賢門の軍に敗れ 喜平次一人打ち連れて
九重の宮に たたずみ給い 若君仰せ出ださるるは
(牛若丸)「のうのう喜平次 ここは何国」 とたづぬれば 喜平次はっと頭をさげ
牛若丸
(喜平次)「ハハァー是はすなわち源氏の御守り神 祇園の御社にて候」と

聞いて若君 涙ぐみ
(牛若丸)「いかに清盛せんぎつよければとて いやしき様に身をやつし まだ其の上に
何国をあてど あわれみくれよ」
喜平次
とばかりにて あとは涙にくれにける
(喜平次)「ハハァー御なげきはことはり さりながらそれがしお供仕まつれば 御身の上に
あやまちなし 最早味方の軍兵も 手配り致しおいたれば 必ず気づかいのたもうな」
と いさめ申せば 若君も
(牛若丸)「てもさても 世の中におことが如き者あろうか うれしいぞよ たのもしし」
(喜平次)「ハハァー何かにまぎれわすれたり 最早申せし通り 源氏の武運長久」と
神前に打ち向かいしばらく 御座したてまつる きんじょうさいはい きんじょうさいはい
そもそも我朝に二所の雑兵あり 神風や伊勢につづいてはとの峯 我も源氏のうてなといふ
家名をこの身に請けついで 仇を千里の外にしりぞけ 源氏の御世をまもらせ給ひ
たんせいかもんのいのりには 仁義も徳も しゅしょうなり
折から来る宮津子が 何者なるぞととがむれば
(喜平次)「ハハァー我々は堺よりきた谷竹の芸者」
(宮津子)「ハァーかねて咄にきいては居れど ついに是まで見たことなし 何と一曲なるまいか」
(喜平次)「なるほどそれはお安い事 したが禰宜どの かんじんの一本竹 是がなくてはこまる」と
めいわく顔よにのりそめて ふっと気のつく宮津子が
(宮津子)「そんならまたしゃれ いようも有」と あたり見まわし 「おっとあるぞ その竹は 祇園祭の
幟り竹 登るというぎえんも有れば げいもおもしろかろう ゆるりと見物致さん」
と云うに喜平次こわつくり
(喜平次)「とざいとうざい まづは変わらぬ鼓なんどに めづらしき見せ物はおおけれど お目通りに立ちました
一本竹のかるわざ 此度が始めて頂上で致しまするが下がり藤 後は色々御目に掛けます しかし
禰宜殿 はやしがなうては行きにくい」
(宮津子)「オットそこらはのみこんだ かぐらの衆を頼んでやろう」
(喜平次)「それはなによりかたじけない さらば一曲致さん」と
片手にすっくと 差し上ぐれば 禰宜は太鼓を宮都宮
つたのかずらのはいまとう 身は笹がにの糸かるわざ 下にはあうんの 力士立
始終の様子こかげより うかがい見たる清盛が 長刀かいこみおどり出で

(平清盛)「ヤァヤァ 源氏の小童牛若丸に紛れなし 討取れや」と
おほせのもと かしこまったと鷲塚平内 上着脱ぎ捨て身構えたり
鷲塚平内 (鷲塚平内)「ヤァ我を誰かと思うらん 平家の家臣鷲塚平内 清盛公のおほせをうけ
源氏の残党せんぎするかくし目付けの手始め」と
言うより早く 太刀抜きはなし すでにこうよと 見えけるところへ
ふしぎや一天 にわかにかき曇り さっと吹き来る 山おろし

草木も振動 めきめきめき さすがの清盛 びっくり仰天 四方にまなこを配り入る
見山 向山四川の空 雷電稲妻はげしきおりから 増上坊牛若丸を小脇に抱き
増上坊天狗 行方知れず なりにけり 鷲塚平内こわだかに
(鷲塚平内)「ヤァこわっぱを連れ去ればもう是からは一本竹 首と胴との生別れ かくごしろげ」と
よばわったり 喜平次なおも 勇気たち
(喜平次)「ヤァうぬらがごときのうじ虫共 一人二人は面倒な 一度にかかれ」とよばわって
そばにありける桜の小枝 まっこうみじんに打ち砕けば おもはず後へ たぢたぢたぢ
なんなく小腕ひっつかみ 宙にひらりと差し上げて きりきりきりと振り廻し 七、八間も
投げつけば 頭みじんと打ち砕け のた打ち返り 死してんけり
気味よし 気味よし心地よし 是も 一重に 君が世の 栄え栄えて 源氏の
国土安穏民安全と 守らせ給ひぞ 目出度けれ
幕
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